こんにちは。「いやしるーむ」カウンセラーのひろみです。

先日、あるクリニックの先生の本を読んでいましたら「なるほど〜🤔」と、妙に納得してしてしまいました。

その先生がおっしゃるには…

人は誰もが年を取れば足が弱るし、手が痺れたり、息切れしたり、トイレが近くなったり、膝の痛みに腰の痛み、消化機能、嚥下機能も落ちたりして体が弱るのが自然なのに、それを受け入れるのは簡単ではないそうです。

老いるということは、失うこと…。

体力を失い、能力を失い、美貌を失い、出番を失い、地位と役割を失い、居場所を失い、楽しみを失い、生きてる意味さえ失うことがあります。

そんな過酷な老いを受け入れ、落ち着いた気持ちで過ごすためには相当な心の準備が必要になるそうです。

しかも、若い頃からずっと健康で元気な人ほど老化現象による不具合に耐えるのが大変だそう🤔

その先生は、そういった意味では「若い頃から具合が悪い人の方が、慣れている分、年を取ればこんなものだと受け入れやすいでしょう。」と言っています。

私は、これを聞いて「そうそう、それは私だ!」と思ってしまいました😆

若い頃から健康的ではない私…。

妹は、友人から「お姉さんは元気?」と聞かれた時に「姉は昔から元気な時はないよ」と冗談混じりに答えるそうですが、まさにその通り!

今も昔も『元気いっぱい!』という時はほぼありません(笑)

で…今、確かに老いに対する諦めも早いです😅

老いに抗おうとは思っていません。

50代半ばに脊柱管狭窄症になってから、長い距離を歩く時は杖を使ってますが、杖の使用にはさほど抵抗はありませんでした。

老眼鏡を使うのも早かったですね😅

「老い」は努力だけで立ち向かおうとしても克服できるものではありません。

こういうものだと受け入れて付き合っていく方が楽になります。

諦めの効用です。

「あきらめる」とは、元々は「明らむ」、すなわち「つまびらかにする」とか「明らかにする」という意味で…

仏教では「諦」という字は「真理・道理」の意味があるそうですよ。

つまり「老い」を諦めきれないのは、状況を明らかにしていない、真理・道理に到達してないという事でもあるのだそうです😅

と、いうことで…

ある程度の年齢になってきた皆さん…。

あちこちに不具合が出てきて、病院などで治療をしてもどうにもならない老化現象なら、「諦める・受け入れる」ほうが、気持ち的には楽になりますよ✨

誰もが、年を取れば何かしらの不具合が出てくるのが自然なんです😊

無理に抗って心を病んでは本末転倒です。ゆるゆるといきましょう✨

では、今日も最後までお読み頂きましてありがとうございました。

皆さんにとって、明日も良い日でありますように…。