こんにちは。「いやしるーむ」カウンセラーのひろみです。

皆さんは「茨城のり子」さんを知っていますか?

意外と知らない人が多いんじゃないかと思いますが…茨城のり子さんは芸能人でも近所の人でもありません😅

第二次世界大戦の動乱を生き抜き、日本を代表する女性詩人になった方です。

代表的な詩は『自分の感受性くらい』ですね🤔

皆さんも一度くらいは「自分の感受性くらい自分で守れ、ばかものよ」という詩の一章くらいは聞いたことがあるんじゃないでしょうか?😊

でも、今回私が紹介したいのは、その有名な詩ではありません。

「苦しみの日々 哀しみの日々」という詩です。

『苦しみの日々 哀しみの日々』

苦しみの日々 哀しみの日々

それは人を少しは深くするだろう

わずか5ミリくらいではあるけれど

さなかには心臓も凍結

息をするのさえ難しいほどだが なんとか通り抜けた時 初めて気づく

あれはみずからを養うに足る時間であったと

少しづつ 少しづつ深くなってゆけば

やがて解るようになるだろう 人の痛みも 柘榴のような傷口も わかったとてどうにもなるものでないけれど

苦しみに負けて

哀しみにひしがれて とげとげのサボテンと化してしまうのはごめんである

受けとめるしかない

折々の小さな棘や 病でさえも はしゃぎや浮かれのなかには 自己省察の要素は皆無なのだから

この詩は、苦しみの日々を通り抜けた時に、初めて気づくことがあるとうたっています。

私から言わせれば、まったくスピリチュアルな詩です。

生きていれば、誰もが大なり小なり苦しみを抱えて生きていますよね…。

誰だって苦しみは嫌です。

でも、人生に苦しみや哀しみがなければ何も気づくことが出来なくて、人は成長もしません。

そのために私達は生まれ変わってきてるようなものです。

どれだけ悩みがあり、辛い現実に打ち負かされそうになっても…

「苦しみ=悪」ではありません。

「自らを養う」ための時間であると信じられれば、まだ希望が湧いてくるのではないでしょうか…。

では、今日も最後までお読み頂きましてありがとうございました。

皆さんにとって、明日も良い日でありますように…。