こんにちは。「いやしるーむ」カウンセラーのひろみです。

私は…

振り返ってみれば、いつも「傍観者」でした。

誰かがいじめを受けたり、見下されて揶揄われたりしてるのを見ているだけの傍観者です。

最近、もしかしたら、これが私の人生の課題の1つなんじゃないかと思えてきました。

以前も言いましたが…

私には軽い知的障害を持つ姉がいました。

姉は、母の胎内で首に臍の緒が巻き付いて産まれたため、障害が残ってしまったんですね。

姉は、障害があるために、人とうまく接するすべを持たずにバカにされたり見下されたりして…周りの人達から嫌な事をたくさん言われてきました。

昭和の時代の話ですから、子ども達は今の子よりもっと残酷です。

それを一番近くで見ていながら…私は、姉を庇うどころか、見て見ぬふりをしてきました。

私は大人しい子どもだったので、姉を揶揄う人に腹が立っても何も言えなかったんです。

一番傷ついていたのは姉本人だろうと思いますが、私の心にも…それはそれは深い傷となって未だにくすぶり続けています🥲

姉だけではありません。

中学・高校と、ありがちな「いじめ」のような出来事にもなるべく関わりたくなくて目を背けてきました。

その時には言えるようになっていたはず…誰かを助けることもできたはず…なのにです。

逆に、若い頃は私自身が人を見下すことさえあったと思います。

そうして、大人になって…

今度は、息子です。息子に中学でいじめのような出来事があった時でさえ、うまく助けてあげられなかったことを今でも悔やんでいます。

「そんな学校には行かなくていい」とは言いましたが…それだけです。

幸い、クラス変えがあったことで問題は解決していきましたが…しばらくは繊細な息子が心配でなりませんでした。

こういった問題は、その子の親になってみないと本当の辛さはわからないと思います。

また、いずれ息子が人間が嫌いになるのではないかとも案じてましたね🤔

でも、成人はした息子は、過去にそんなことがあっても今はほぼ「人の悪口・陰口」は言いません。

コミュニケーションをとる事に苦手意識はあるでしょうけれど、人を悪く言わないところは彼の素晴らしいところだと思います。

と、ちょっと話が脱線しましたが…

結局、一番の問題は、私が「私自身を許せないこと」にあります。

いじめや、心ない事を言う無神経な人を静止せず、ただ見てるいるだけの傍観者であった自分が許せないんです…。

父が亡くなったことで、以前亡くなった姉のことまで思い出してしまったからかもしれません。

なぜ、私は幼い頃からずっとこんな思いを抱えて生きているんでしょう…🥲

人生の課題になっているとしか思えません。

人間関係を円滑にできる人は、それだけでうまく社会を渡り歩いていけます。

でも、そうではない不器用な人も、障害を持つ人も、この世にはあふれています。

職場や学校にも必ず何人かはいるはずです。

皆さんは、そんな人達を、見下したり虐めたりバカにすることは絶対にしないでくださいね。

私のような「傍観者」にもならないで下さいね…。

自分のしたことは絶対に自分に返ってきます。

それは宇宙の法則です。

いじめる方は本人に例え悪気がなかったとしても…少し揶揄ったつもりでも、やられた方はいつまでも覚えています。

顔で笑っていても深い傷になっています。

傍観者であった私でさえ「槍で刺したような心の傷」になっています。

また、今世で返らなくても、来世で必ず逆の立場になります。

どうか覚えていて下さい。

もしも、誰かを見下すような気持ちになってしまったら…

人にはレベルも優越もありません。自分より何かが劣ると思う人でも、あなたより勝るものも持っています。

何が正解で何が不正解かもありません。

皆さんは、そんな場面に出くわしたら、弱い立場の人を庇ってあげて下さい…。

弱肉強食は動物の世界で充分です。

人間には愛があります。

『どうか、全てが優しい世の中になりますように…。』

では、今日も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

皆さんにとって、明日も良い日でありますように…。